カーバンクルの人と呼ばれたい

一切統一性のないブログ

GoogleNowと性格

約一週間ぶりです。

 

文字を書くのはパソコンのほうが捗るのですが、ネットの記事を見たり日常の記録はスマホ任せなのでどうにもパソコンが活躍する機会がない今日この頃です。

 

今日は私がネットの記事を読んでて気づいたことをまとめます。

 

突然ですが私はAndroidユーザーです。そしてAndroidにGooglenowというランチャーを入れています。

これは、マップ情報や観覧ページからよく行く場所のルートや類似ページを表示してくれるランチャーです。最新のニュースやバイト先までの道のりだったり、運行状況、今日のレシピなど結構いろいろ教えてくれます。

そして、よく読む系統の類似記事が表示され、そのなかには最新テクノロジーや経済のニュース、アニメやゲーム情報などよく大学生が見る記事の中に、貧困や教育の記事が表示されます。

 

なるほど、自分は貧困や教育に目を向けているのかな?と考えたりしますが、全くそんなことはないです。

実際私は理系学生ですが、奨学金は借りてませんし親からいくらかの生活費も出してもらってます。いま問題になっている貧困問題や教育問題にはたぶん当てはまってはいないでしょう。

ではなぜ私が貧困や教育の記事をよく読むかという考察をします。

 

はじめに考えられるのは現代の問題として、貧困や教育に興味があるから。ということです。

たとえば、内閣府の調査では

子どもの相対的貧困率は1990年代半ば頃からおおむね上昇傾向にあり,平成21(2009)年には15.7%となっている。子どもがいる現役世帯の相対的貧困率は14.6%であり,そのうち,大人が1人の世帯の相対的貧困率が50.8%と,大人が2人以上いる世帯に比べて非常に高い水準となっている。

第3節 子どもの貧困|平成26年版子ども・若者白書(全体版) - 内閣

 となっています。

なるほど、確かに大問題です。将来を担う子供が貧困でさらに、教育も不十分となっているわけですから。

しかしながら、これだけでは読む動機になるとは考えにくいです。なぜなら貧困という大きい問題に対しそれほど親身になれないからです。大学での勉強とも違い、実際現在貧困に喘いでいるというわけではなく、また貧困より興味のある分野がたくさんあります。

 

ではなぜか、それは恐らく読み物として面白いからだと思います。当事者は苦しいのにふざけるなという意見もあるでしょうが、それはそれです。

 

適度な長さ、プロのライターさんの取材と読みやすい文章で書かれた記事はとても興味を惹かれます。

そしてそれは、一つのドキュメンタリーとしてまとまっています。

 しかし、これは記事を読む前提の話で本質は違います。

 

本質は私自身それを見てどこか安心しているというところです。

 

現状に満足できないそんな状態から記事を見ているのだと考えました。

なかなか性格が悪いですけれど、事実です。

 

別に成功者や尊敬できる生き方をする人の記事をみて勇気づけられてもいいわけです。

そして私はそのような記事も結構見ます。

 

しかし、自分は自分と割り切れずに下を見てしまう。そんな性格に不快感があると書いていて認識しました。

あとは、向き合い方や直し方もそこから読み解くことができればいいんですが、いまは考え付きませんでした。

 

最後に今回のまとめですが、GoogleNowに表示される情報は自分の観覧したページや記事に沿っています。

もし無意識に情報を集めていたならば、少なからず好みと一緒に自身の性格も現れてくる。そんなことに気付きました。